2016年10月24日月曜日

鳥取(東部)地震

10212時過ぎ、私は本町のあるビルの3階に居ました。突然事務所中に警報音が響き渡り、スマホが鳥取中部地震の緊急情報を伝えました。間もなく部屋はゆらゆらと揺れ出しました。震源は鳥取県中部、倉吉市と私の本籍地である湯梨浜町付近だと言っています。親せきや知人の顔が次々と浮かんできて、すぐ電話をしましたがつながりません。

不意に私が国民学校2年生の1943年(昭18年)に起こった鳥取大震災(鳥取東部地震)の悪夢を思い出しました。私の命拾い第1回の経験です。その日は91017時半頃。「20世紀梨の初物を受け取りに来て」と、おなじみの八百屋のおばさんが私に声をかけてきました。私は兄とともに床下に生まれた仔犬を引っ張り出したところでした。

門前で防火用水用のバケツに梨を入れ、引き返そうとしたとき、突然ゴーという地鳴りと土煙があがり、私はひっくり返りました。おばさんのリヤカーの上に前の家の小屋が倒れかかるのがチラと見えましたが、直ぐ何も土煙の中で見えなくなりました。それからの記憶は断片的です。母親らとの再会も、八百屋の娘さんの母親探しの来訪もぼんやりしています。


 約1時間後「どこにも居ない」と泣きながらまたやって来た八百屋の娘さんに、前の小屋の下敷きになっているとやっと話せました。総動員で掘り出したおばさんは即死状態だったそうです。母に厳しく叱られました。早く皆に言えば助かっていたという状況なら、一生お前はその重荷を担わねばならぬところだった。「男の子ならもっとしっかりしなさい!」と。

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