2016年10月10日月曜日

なぜ村人は満州へ?

 終戦記念日の前日、NHKスペシャルは表題のテーマを放映しました。昭和10年前後から、食料増産という国策のために、当時日本の軍隊が支配していた満州に、日本の農民を家族ぐるみ送り出す事業が始められました。敗色濃厚となった昭和18年、19年まで続けられた結果、ソ連が国境を越えて攻撃して来た時に農民たちは集団自決に追い込まれました。

 国策に協力して農民を個別に説得して満州に送り出したある村長さんは、責任を感じて1年後に自害したのです。開拓に入った土地は満州の人たちの農地を強制的に買い上げたところも多く、開拓農民は地元民から強烈な反感を抱かれていました。日本の関東軍は敗色濃厚な南太平洋に軍人を送り出し、満州は日本の開拓地は高齢者と女性と子供だけでした。

 私の国民学校には、6年尋常科修了後の2年制の「高等科」があり、これを終わる今でいえば中学2年修了生の中から、志願制の名目で毎年「少年義勇隊」が満州に送り出されていました。「海越えて行く若人よ/待つぞ大陸微笑(ほほえ)みて/山河は大に野は広く/これぞ理想の新天地/行け行け少年義勇隊」。私たちは無邪気にこう歌って送り出しました。


 老人と女、子どもだけになった開拓農民を助けるための方策だったのでしょう。おそらく15歳前後の子供が、ソ連軍の侵攻や地元民の襲撃で役に立った筈はありません。彼らはどのような生活を送り、どのような終戦を迎えたのでしょうか。今でも気になります。一旦決められると、事態が変わっても国策を見直ない行政体質は変わっているでしょうか?

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