2016年8月31日水曜日

アーリー・リタイヤメント(early retirement)

 55歳定年が普通だった成長期に、早期退職(early retirement)を理想とする考えがありました。高度成長に向かう時期でしたが、できるだけ稼いで、できるだけ早く仕事をやめて、後をのんびりと過ごすことを理想とする考えです。サラリーマンでは無理と分かっても、自分で事業を興して稼ぐだけ稼いで、湖畔の別荘でのんびり暮らすのが夢でした。

 私は妙なことから、会社の中で特殊な仕事をしていて、ひどいときには1週間以上家に帰らないことさえありました。ですから早く会社を辞めて自分で商売をやって、稼ぐだけ稼いだら早くリタイヤーして、余生をのんびり過ごしたいと思った時期がありました。それを実行したアメリカ人の話を聞いて、うらやましく湖の別荘を夢見たものでした。

 ところが、アメリカに行くようになって、時々海を眺めている老人や、湖の傍のベンチでのんびりと景色を見ている人を見て気が付いたのです。彼らは何時間も海や湖を眺めていても、別に退屈しないようなのですが、私を含めた日本人は、物質的にも精神的にも貧しいのか、そんなのんびりしたことがとてもできないだろうということをね。


 春の海/ひねもすのたり/のたりかな こんな句もありますが、朝から晩まで春の海を見て暮らせる日本人は、たぶん稀でしょう。貧乏性な私は結局80歳寸前まで働いて、呆れられました。それは学校の成績が悪い学生が、目を覚まして化けることがあることにすっかりハマってしまったからです。死ぬまで働きたくなったから人生は面白いですねえ。

ウサギ美味し

 いつだったか私より20歳くらいお若い人たちと雑談をしていて、「故郷」という歌が話題になりました。「兎追いし彼の山…」という歌です。突然その一人が「子供の頃は『ウサギ美味しい…』だと思っていた。」と言うと、驚いたことに「私もだ」と言う人が何人か出て来たのです。私は「オイシ」は、「追うこと」と分かっていましたからびっくりしました。

 私は「小鮒釣りし」の思い出はたっぷりありますが、野兎は野山で居るのを見たことがあっても、それを追いかけた経験は全くありません。ということは、体験の差ではなく、文語体の言葉に対する馴染みの差ではないかと思いました。私の子どもの頃には、童謡でもすべて文語調でしたから、一番わけもわからずに歌ったのはこの軍歌だったのです。

 軍歌と言う代物は勇ましくも、わけのわからぬ言葉が出てきました。でも誰も意味を教えてくれず、間違えたまま聞き覚えの歌詞を大声で歌ったり歌わされたりしていました。「護るも攻むるも黒鐵(くろがね)の/浮かべるその城日の本の/皇国(みくに)の四方(よも)を護るべし…」幼稚園児や小学生に意味がわかるはずはありません。


 「天に代わりて不義を討つ、忠勇無双の…」を「天井に金槌釘を打つ、チュウチュウネズミの運動会」と大声で歌っていましたが叱られませんでした。「何にも言わず靖国の…」という歌を「何にも言えず靖国の」と間違えて歌った途端に、先生が飛んできて「憲兵に連れて行かれるぞ!」と怒鳴りました。言いたいことが言えぬ年代にやっとわかりました。

ガラケからスマホへ

 私の小学校の6年時の恩師は、90歳で携帯からメールをくださいます。メルトモの最高齢者です。先日OB会があって久々に出席して、昔の上司の人たちと旧交を温めました。当時お前には手を焼いたぞという怖い上司たちが、話をしているうちほとんどがパソコン音痴?だと気づきました。私の年代もパソコンは独学で慣れには個人差があります。

 昔、通信技術に詳しい人と携帯事業をNTTに持ちかけ、けんもほろろに断られたことがありました。携帯電話事業が始まるとすぐ契約し、買換えながらガラケを使ってきたのですが、メモリーが満杯になりやむを得ずスマホに乗り換えました。便利だけど機能をフルに使うと、結果は時間がいくらあっても足りません。ポケモンGOなど時間の無駄!

 それでも娘の友人からスマホを使う最高齢者などとからかわれています。歳とともに技術革新について行けなくなるのは、歴史的に繰り返されています。私が入社した年に真空管式の大型コンピューターが導入され、料金計算が機械化されました。昔のやり方を知らぬ新入社員の方が早く慣れて、先輩たちに逆に教えるようなことさえ起こりました。


 昭和45年頃から、機械の制御がデジタル化されると、従来手加減でバルブ操作をしていた工長クラスのベテラン層から、大量のノーローゼ患者が発生しました。花の胚を人工増殖させて大量に観葉植物を栽培する仕事に従事してもらって、デジタルという新技術に対する心理的アレルギーを取ってもらったのを思い出します。習うより慣れよ、ですかねえ。

2016年8月26日金曜日

タチの良くないガンに罹りました

 昨年の10月以来この欄に記事を書いていませんでした。申し訳ないことでした。実はあまりタチのよくない前立腺ガンに罹りました。10月から平日は毎日通院して8週間、外部放射線治療を受けました。別に痛くも痒くもないのですが、大腸内はカラ、膀胱内は相当量の尿を溜めて決まった時刻に治療を受けなければならず、これには相当苦労しました。

 前立腺ガンは普通進行は遅いのですが、私の場合は非常に進行が早く、2年余で組織外に頭を出すほど早い進行で、全身への転移は避けられないと予想されました。偶然ある非売品の酵素をガンの知人に勧めたところ結果が良いと聞き、ガンでもないのに半年余前から私もその酵素を飲みだしたのです。その所為か幸いに転移は何も見つかりませんでした。

 おいおいお話ししますが、私は御巣鷹山に墜落した全日空機に乗り損ねて助かり、JR尼崎駅での事故の電車にいつも乗っていたのに、その日に限り一つ前の電車が遅れていたためにそれに飛び乗れたために、事故に遭わなかったのです。今回も悪運強く死に損ねたようです。もう少し世のお役に立つことをしなさいと言われたような気がします。

 昨年末に治療が終わり、幸い3か月目の診察でも異常がありません。5年くらい様子を見ないと完治とは言えないそうですが、これから普通の生活をいたします。これからは、多くの方に読んで頂けるよう、少しスタイルを変えて、随筆風に思いつくままに書いて行きますので、よろしくお願いします。感想をお寄せ下されば幸いです。