2015年9月16日水曜日

幸福を演じて幸福になる

テレビの予番組でこの言葉が出てきたときには、反発さえ感じました。NHKの「助けて!極め人」という番組で、写真家の浅田政志さんが掲げた言葉です。でも、番組を見て納得しました。

 4世代13人が一つ屋根の下に住んでいて、皆で幸せな写真を撮ろうとするのですが、お爺ちゃんがどうしても笑わない。
 いや、笑い顔ができなくなっているのです。自分が家族のために何もできない存在になってしまった以上、できるだけ家族の負担にならないように暮らしてきた結果、笑うことも泣くこともできなくなってしまっていたのです。

 浅田さんはそれに気づき、お芝居のように筋書きを作り、服装からしぐさから全部指示してしあわせな姿を演じてもらったのです。初めはぎこちないしぐさと笑いであったおじいさんの顔がだんだんほぐれてきて、しまいには孫たちと大笑いした写真が見事に撮れたのです。

 「演じる」のは、ほかの人と非日常的なことを「共同の作業」として行うことだったのです。そして日常にも笑いが帰って来たのです。

 40年も前の話ですが、ある老人ホームに、一種の「安楽死装置」がありました。それは完全看護のスタイルで行われるのですが、根本は無刺激状態を作り出してそこで老人を過ごさせるのです。そうすると、老人は短時日で寝たきり、昏睡と進み、老衰死するのです。

 もう少し詳しく話します。用事があれば目の前の紐を引けば無言で看護人が現れて無言で片づけてくれる。ベッドは定期的に傾斜が変わり、床ずれができないようになっており、薄暗い明るさの中で温度、湿度管理が行われ、かすかに抽象的音楽が聞こえる以外音が聞こえないのです。

定期的に流動食を流し込まれ、トイレはすべて無刺激のおむつの取り換えですませ、体の清潔も特殊な方法で短時間に終えます。会話はありません。もちろんテレビもラジオもありません。

 患者は無刺激の環境の中で、昼か夜かもわからず、寝ているのか起きているのかもわからず、ついには生きているか死んでいるのかわからなくなり、数日で食欲もなくなり、自動的に食事、いや栄養剤を食餌としてチューブで与えられるようになり、排せつもすべてパイプで行われるようになります。

 ほぼ、数週間で死に至ります。例外的に3か月、長寿記録は半年だそうです。少しも死に手を貸してないのですが、見事な安楽死装置です。完全看護が行政の運営する「特別養護老人ホーム」しかなく、ターミナルケア施設もなかったこの時代には、家族の暗黙の了解のうちに、高齢者は苦痛なく短期間に死を迎えさせられたのです。念のために申しますが、今はもうありません。(確信はありませんが少なくとも表立ってはありません。)

 でも、私は2年前にターミナルケア(終末医療)病院で、似たような仕組みがあるのに気が付きました。末期がんやその他の病気で、死を免れない状況になった人を、苦痛なく死なせる病院です。歩ける人も全部車椅子に乗せられます。食べる喜びは感じられない病院食しか食べられません。

 たとえ下痢をしようと腹痛を起こそうと、治療は一切しないで、苦痛をとるために昏睡させられて、死に至るまで丁寧に面倒を見てもらえます。

 激しいストレスは私のような老人には毒ですが、無刺激の生活は死への早道なのです。だから高齢者が笑い楽しむ仕掛けを考えて行きたいと思っています。もちろん大阪自由大学は女性にも若い人たちにも役立つ場を作りたいと思っていますが…。 

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